「清貧」豊かな心で自由に生きる思想

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「清貧(せいひん)」という言葉があるが、ご存知だろうか。意味は「所有に対する欲望を最小限に制限することで、内的自由を飛躍させようとするもの」であり、状態ではなく思想を表したものである。

清貧はかつて多くの日本人が持っていたとされる思想の一つで、日本人のルーツと言えるものだったのかもしれない。

かくいう私はつい最近までこの「清貧」という言葉を知らなかった。が、「お金儲けは悪なのか」という問いについて解を求めるうち、以下の書籍に巡り合った。

清貧の思想 (文春文庫)

清貧の思想 (文春文庫)

この清貧という思想、清らかで、かつ質素な生活を送っている人、あるいはこれからそのような生活を送りたいと考えている人にはとても良い考え方であると思われる。ぜひ清貧という思想を知り、今一度自分の生き様について考えるきっかけになれば良い。

清貧とは思想である

名声や利益に使われて、心休まる暇もなく、一生を苦しめることこそ愚かである。

財産が多ければ身を守ることが疎かになり難しくなる。害を受け、わずらいを招く中立となるものだ。自分が死んだ後は、財宝を積み上げて北斗七星まで届くほどあったとしても、遺された人にとっては、わずらいとなるに違いない。愚かな人の目を喜ばせる楽しみもまた、つまらないものだ。大きな車、肥えた馬、金の玉飾りも、心ある人はまったく愚かであると見るに違いない。金は山に捨て、玉は淵に投げるべきだ。利益に惑うのは、大変愚かな人である。

いつまでも埋もれない名声を後世に残すことこそ、あるべき理想ではあろうが、位が高く、身分が高い人を必ずしも優れた人と言うべきだろうか。

愚かで駄目な人も、それなりの家に生まれ、よい時節にあえば高い位に登り、奢りを極めることもある。優れていた賢人・聖人が、自ら賤しい位に留まり、時節にあわず死んでしまった例も又多い。ひとえに高い官位を望むのも、(利益に惑うことの)次に愚かなことである。
 - 『徒然草』第三十八段より

徒然草』は14世紀に書かれた書籍で、上記のような考え方は多くの日本人に影響を与え、現代に至っても愛読者の多い古典である。

著者の吉田兼好によると、地位や名声、富に囚われた人は愚者であり、己の心の充実さを求めるこそが最良であるという。このような考え方が日本人に広く行き渡り、共感を得て、これまで日本人の基本的な思想として定着した。

これこそ「清貧」であり、清貧とはその人の状態を表すものではなく、その人の考え方を表すものであることが分かるだろうか。「清貧」とはいわば「所有を必要最低限にすることが精神の活動を自由にする、所有に心奪われていては人間的な心の動きが阻害される」という考えが根底にあり、その思想を持って人々は質素で簡略な生活に慎むことを指す。

「貧乏」との違いについて

「貧乏」は状態であり、思想ではない。これが決定的な違いであろう。

その人がお金や生活に困っていれば、その人は貧乏である。それは清貧ではない。

清貧は思想なのだから、たとえその人がお金持ちで裕福な状態にあったとしても、清貧な思想を持っていることだって有り得る。なので、清貧を貧乏な人と捉えてはならない。

「吝嗇」との違いについて

「吝嗇(りんしょく)」とは言うなれば「ケチ」であり、「守銭奴」とも評される表現であるが、要するにあらゆるものを犠牲にしてでもお金を貯めこもうとする、あるいは守ろうとする行為で有り、「清貧」とは根底の考え方が対立するものである。

吝嗇家は、自分の財産を守りたい、富を築いて裕福な生活をしたい、という考え方が根底にあると思われる。ここが清貧の思想と真っ向から対立している。なので、清貧は吝嗇とは全く異なるものと言える。

「節約」との違いについて

「節約」とは行動やテクニックを指すもので、「無駄を省いて切り詰めること」を言う。したがって、清貧の思想には近い表現になるかもしれない。

ただし、節約家にはこれといった考え方・思想の定義がないので、節約家の目的次第で清貧とも捉えられるし、吝嗇とも捉えられる。

その人が清貧の思想に基づき節約しているかもしれないし、お金を貯め込もうと節約しているのかは、その人の考え方を知る必要があるということだ。

ミニマリズム(Minimalism)」との違いについて

ミニマリズム(Minimalism)」も考え方の一つで、「清貧」とかなり近い考え方にあると思われる。が、ミニマリズムが「最小限主義」と言われるように、減らすことそのものに美を追求していたり、単にファッション(装飾的思考)としての考え方もあることから、清貧とは若干異なるように思える。

また、清貧の思想にある人は、自分を清貧家とは名乗らない。これは時代の違い・思想の多様化も背景にあるだろうが、昔の日本人からすれば清貧が当たり前で、わざわざ名乗ることもなかったのだろうと考えられる。

一方で現代は大量生産・消費社会であり、その考え方に相対すべく「ミニマリスト」と名乗る人が出現したと捉えられる。なので、もし吉田兼好が現代に生きていたら、「私はミニマリストだ」と名乗る可能性も、もしかしたら有り得るのかもしれない。

所有欲がもたらす怖さについて

「清貧」とは私も知らない言葉であったように、半ば死後に近い言葉と言えるかもしれない。

その上、残念ながら本書が警鐘しているように、清貧の思想に相対した考え方を持っている人が増えてしまったのもまた事実であろう。現に周りを見渡してみると、金や地位に取り憑かれている人はいくらでも見て取れる。先代の努力による経済の急発展により、辛い生活から逃れたことに我々は感謝せねばならない。が、負の財産もまた大きなものとなっている。

さて一度所有欲に取り憑かれると、その人生は半ば悲惨なものになりかねないと言える。特に現代はと言うとその欲望を掻き立てる商品・広告がある意味世界を支配しているわけで、逃れようにも逃れられない過酷さがある。一度捕われると、精神的にも金銭的にも追い込まれていくことになる。例えやすい例を挙げるなら、住宅ローンはその一種と言えるだろう。

高いものを買うからこそ、それを大切にする、という考え方もあるかもしれないが、むしろ心の自由を奪われているのかもしれない。高いものが身近に有ると、その物に気を奪われ、挙句は「落とすな」「触るな」「汚すな」と、その物により人間関係までもが汚れていくことに繋がりかねない。

清貧は心の豊かさと自由をもたらす

さて、では所有欲を無くし、高価なものや名声に囚われなくなると、どうなるか。

まず、執着心が無くなるであろう。物事や地位に対する執拗な心は、当たり前だが心が汚れていく。執着心は、不健康をもたらす病魔である。それは、確実に無くなるであろう。執着心がなくなれば、嫉妬や羨望も無くなり、次第に心が穏やかになり、豊かになり、清らかになっていくであろう。心がそうなると、次第と生活も落ち着きが芽生え、安らかな毎日が過ごせるであろう。

本書で、ヨーロッパの心理学・哲学者であるエーリッヒ・フロムの有名な著書『生きるということ』の一文が引用されていて、それが面白かったので紹介したい。彼はイギリスの詩人アルフレッド・テニスンと日本の俳人松尾芭蕉の俳句を比較し、欧米文化と日本文化の違いを指摘している。

ひび割れた壁に咲く花よ
私はお前を割れ目から摘み取る
私はお前をこのように、根ごと手に取る
小さな花よ --- もしも私に理解できたら
お前が何であるのか、根ばかりでなく、お前のすべてを---
その時私は神が何か、人間が何かを知るだろう

 - アルフレッド・テニスン

これに対し、英訳された芭蕉の俳句が以下だ。

眼をこらして見ると
なずなの咲いているのが見える
垣根のそばに!

よくみれば なずな花咲く 垣根かな」(日本語原文)
  - 松尾芭蕉

この両者の違いについて、エーリッヒ・フロムは以下のように述べた。

この違いは顕著である。テニスンは花に対する反作用として、それを持つことを望んでいる。彼は花を「根ごと」「摘み取る」。そして最後に、神と人間の本性への洞察を得るために花がおそらく果たすであろう機能について、知的な思索にふけるのだが、花自体は彼の花への関心の結果として、生命を奪われる。私たちがこの詩において見るテニスンは、生きものをばらばらにして真実を求める西洋の科学者にたとえられるだろう。

芭蕉の花への反応はまったく異なっている。彼は花を摘むことを望まない。それに手を触れさえしない。彼がすることはただ、それを「見る」ために「眼をこらす」ことだけである。

(中略)

テニスンはどうやら、人びとや自然を理解するために花を所有する必要があるようだ。そして彼が花を持つことによって花は破壊されてしまう。芭蕉が望むのは見ることである。それもただ眺めるだけでなく、それと一体化すること、それと自分自身を<一にする>こと — そして花を生かすこと — である。
 - 『生きるということ』より

エーリッヒ・フロムはこの違いを「所有すること」の存在様式と「在ること」の存在様式との違いとして説明しているのだが、この「在ること」の存在様式こそ、まさに清貧を表しているものとなる。

私はたびたび「日常は幸せの中にある」ということを信念として掲げたいとこのブログで宣言しているが、それはまさにこの清貧という思想を根底に置くことで、さらにその境地に達せられるのではないかと、そのように考えている。

幸せは日常の中にある。 - 傷鴨日記

清貧思想の言葉

本阿弥妙秀(ほんあみみょうしゅう)

武家家伝_本阿弥氏

室町・戦国時代の本阿弥家が清貧を体現した例として挙げられている。有名なのは陶芸家・芸術家の本阿弥光悦であろうが、その母親である本阿弥妙秀の方が面白かった。

妙秀(みょうしゅう)本阿弥光悦の母 : Pilgrim 東西南北巡礼記

富貴をのぞんで縁組をしてもろくなことにはならぬ、それは人間関係を損うばかりでなく、人間そのものをダメにする。富貴であることのみをよしとするのは、欲深く鼻の先にばかり知恵のある者に決まっている、と彼女はかねがね若い者たちに言い聞かせていた。

妙秀が最も重んじたのは何よりも人の心のありようであった。たとえ、貧しくとも夫婦のあいだに愛情さえあれば、「いかほど貧しくともたんぬべし」と言った。富貴な家の当主が死んだあと、兄弟の間に醜い争いが起こるのはよくあることだが、貧しい者の死んだあと兄弟が争ったためしはない。人が幸せになるかどうかは富貴か貧乏かによるのではない、ひとえにただ人の心のありようによるのである、ともかねがね言っていた。

彼女は世の中に慳貪(けんどん)な人たちが溢れかえった世を見て、嘆き嫌っていたそうである。慳貪とは欲が深い、貪欲であることを意味しており、自分がよければ他人を構うことはない。そんな人を表すである。残念ながら現代にもそんな人が溢れかえっている気がしてならないが、彼女はついには、他に貧しい者が大勢いる中に自分一人が多くの物を所有することに悪を感じるようになったらしく、大勢の者に自分の所有物を分け与えたのだとか。

良寛

江戸時代の僧侶だった良寛は、生涯を通して寺を構えず、妻子も持たず、粗末な草庵で無一物に徹しながら生活をし、名利に一切とらわれない人生を送ったらしい。

良寛さんの生い立ちとは? 無一物で自由に生きた74年の生涯 | 和樂web 日本文化の入り口マガジン

あまりに満足感が飽和した時代を生きている我々からすると、良寛の生き方は到底真似できるものではない。が、その清貧の思想からは学べることも非常に多いであろう。

食い物がいくらでも手に入る飽食の時代に、食があること自体を有り難がる気持ちは起こらない。つねに飢餓すれすれの、食のないことが状態であるからこそ、三升の米のあることが有難いのである。

暖房の効いた暖かい部屋がふつうであればそれを特に有り難く思うことはないが、寒気の厳しい外での乞食行から帰って炉に焚くべき一束の薪があれば、その暖に感謝せずにいられない。

ないことが状態であるとき初めて人は物のあることに無上の満足と感謝を覚える。あるのが常ならば、ないことに不満こそ感じても、決して有り難がる心持ちは湧かないであろう。とすれば、身辺をつねに欠乏の状態すれすれに置くことは、それ自体が感謝をもって生きることの工夫であるかもしれないのだ。良寛が草庵の生を選んだのはそういうことであったろうと私は想像する。

我々は当たり前のようにエアコンをつけて寒気を凌ぎ、当たり前のようにたらふく食べる。確かに欠乏して、初めて人は生きていることに感謝するのかもしれない。私も今の無職生活を以って、苦労を覚え、衣食住の有り難さを痛感せねばなるまい。そうすることで、また新しい自分に出会える気がするのである。

吉田兼好

冒頭にて挙げた通り、随筆の古典である『徒然草』の作者である吉田兼好も清貧を説いた一人であろう。

自分が生きていま存在しているという、これに勝る喜びがあろうか。死を憎むなら、その喜びをこそ日々確認し、生を楽しむべきである。

なのに愚かなる人々はこの人間の最高の楽しみを楽しまず、この宝を忘れて、財産だの名声だのというはかない宝ばかりを求め続けているから、心が満ち足りるということだないのだ。生きているあいだに生を楽しまないでいて、いざ死に際して死を恐れるのは道理にも合わぬことではないか。

人がみなこのように本当に生きてある今を楽しまないのは、死を恐れないからである。いや、死を恐れないのではない、死の近いことを忘れているからに外ならない。

 - 『徒然草』第九十三段より

これは死を意識して、死が来ることを自覚して毎日を楽しめという格言であるが、死が遠のいた現代を生きる我々にはさらに難しいことかもしれない。凡人な私はというと、やはり心のどこかで「自分はまだ死なないだろう」という甘い認識があるように思えてならない。

では、「どうすればそのように生きることができるか」について、そのヒントとなるものを吉田兼好は我々に授けてくれている。

スケジュール表に予定をびっしり書き込んで、絶えず忙しく動き回っていないと生きた気がしないような人の気が知れない。わたしに言わせれば、人間は他のことに心を紛らわされず、己れひとり居て心を見つめているのがいいのだ。

世間並みに暮らそうとすれば、心は賭け事とか商談とか出世とか色ごととか、そんな外の塵に自分も心を奪われて惑いやすいし、人との交際を重視すれば、テレビだの新聞だの意見や情報に引き回され、まるで自分が自分でなくなってしまう。たのしく付き合っていたかと思えばすぐ喧嘩し、恨んだり悦んだりして切りがなく、心の平安なぞ望むべくもない。ああすればとか、こうすればと考えて利害の関心から抜け出せない。まるで惑いの上に酔い、酔いの中で夢を見ているようなものだ。だが、世間を忙しく走り回っている人を見ると、事に呆けて肝腎なことを忘れている点ではみな同じである。

だから、まだ真の道は何かを知らずとも、仕事、人間関係、世間体などの諸縁を断ち切って心を安らかにしておくのこそ、生を楽しむ態度だと言うべきである。摩訶止観にも「生活、人事、技能、学問等の諸縁をやめよ」とあるではないか。

 - 『徒然草』第七十五段より

世間に振り回されては心の充実は得られないのだから、世間並みの生活から距離をとって己れの心を見つめなさいと、そう言っている。

これもまた凡人には厳しい提言であるが、死を感じたことがある人、もう少し身近なところでいうと、一度でも挫折を味わった人なら、多少なりとも身に沁みるのではないだろうか。私も、休職しそれを克服してから、以前より生きることを実感するようになった。同じような感覚は、実は多くの人の中に秘めているのではないだろうか。それを感じるためには兼好のいう通り、一度自分と向き合うことだろう。

鴨長明

同じく随筆の古典『方丈記』で知られる鴨長明は世を捨て、その名の通り方丈(約三メートル四方の室)の中で生活した。

彼は元々、京都の有名な神社である下鴨神社の神事を統率する禰宜の一族に生まれたこともあり、それなりに裕福であっただろうと推測されるが、地震や大火事など数多くの天変地異を経験し、また家族間の争いにも揉まれた結果、最後は方丈にて生活し、そこにある幸せを見つけた。

近年は大災害の多い日本。特に東日本大震災の影響もあってか、方丈記が改めて見直されるようになってきたらしい。

顔回(顔淵)

顔回儒教の始祖である孔子の一番弟子と評された賢人で、彼もまた大変な倹約家であった。

子曰く、賢なるかな回や。一箪(たん)の食(し)、一瓢(ぴょう)の飲、陋巷にあり。人は其の憂いに堪(た)えず、回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や。
 - 『論語』雍也篇より

顔回は狭くきたない路地(陋巷)に住んでおり、食事は竹のわりご一杯の飯に、ひさごの椀一杯の汁だけという極めて貧乏な暮らしを強いられていたのにも関わらず、彼は少しも苦にしなかった。むしろこれを楽しんで改めようとしないその様に、孔子は感銘してこのように評したのである。

顔回は富の誘惑に負けず貧乏暮らしに満足し、志を曲げずに一生を過ごしたのである。そんな顔回が若くして亡くなった時、孔子は声を上げて泣き続けたという。

晏子(晏嬰)

晏子とは春秋時代の斉の宰相を務めた政治家で、彼もまた清貧の思想を貫いた賢人だった。詳細は以下にまとめた。

「晏子春秋」に学ぶ、人として正しい生き方とは。 - 傷鴨日記

我々はどう生きるべきか

本書が世に放たれたのはバブル崩壊の頃であり、たちまちベストセラーとなたそうだ。大きな時代の転換点の中で、人々はこの「清貧」なるものに心打たれ、今一度自分の生き方について考え直したに違いない。

しかしながら、私は平成以降しか知らないが、日本が良くなっていってるとはとても思わない。むしろ悪化を辿っているようにも思えてならない。私がこの社会に変革をもたらすのは難しいし、残念ながら成し得る人格も能力も無い。

ではせめて、世の流れに対して、受動的に流されるのではなく、己れの生き方を見定めて確固不抜の信念のもと、納得のいく人生を歩むことはできるのではないか。

現代は、日本人が生まれて初めて「過剰の時代」を生きる事になった転換点でもある。そして、その虚しさを身を以て体験することになるであろう。もう存分に味わった者もいるであろう。だからこそ、「清貧」に対して非常に受け入れ易い精神が備わっているのでは無いだろうか。少なくとも私は「清貧」について、とても良い印象を持った。

さらにいうと、この「清貧」という思想は、ますます混迷するであろう国際社会を生き抜くにあたり、極めて大切な考え方になるのではないだろうか。もっと言えば、この思想こそが、日本人の誇りとして、諸外国へ発信すべき文化なのではないだろうかと、そう思った次第である。

清貧の思想 (文春文庫)

清貧の思想 (文春文庫)

ところで私はここにきて、失恋の鬱憤を晴らすべく、躊躇なく多くの嗜好品に手を出した自分に酷く後悔した。なり振り構わず、あらゆる物質を手に入れようとした自分を酷く戒めた。"人生は足し算では無いのだ"。

反省して、新しい自分に出会う事にしたい。