「小確幸」小さいけれど確かな幸せを見つける。
「小確幸(しょうかっこう)」という言葉がある。
「小さいけれど確かな幸せ」を略したもので、作家・村上春樹により生み出された造語である。
生活の中に個人的な「小確幸」(小さいけれども、確かな幸福)を見出すためには、多かれ少なかれ自己規制みたいなものが必要とされる。たとえば我慢して激しく運動した後に飲むきりきり冷えたビールみたいなもので、「うーん、そうだ、これだ」と一人で目を閉じて思わずつぶやいてしまうような感興、それがなんといっても「小確幸」の醍醐味である。
- 村上春樹『うずまき猫の見つけ方』より
韓国や台湾で流行した「小確幸」
この小確幸という村上春樹により創り出された言葉は、彼の影響力の大きさもあってたちまち世界に広がり、韓国や台湾で大流行りしているのだとか。
いま韓国で小確幸(소확행)がトレンドとなっていることについて思うこと。 - Koguma
日常の小さな喜びを表現した言葉が、たちまち多くの人の共感を読んだのであろう。確かに単語としても「しょうかっこう」と呼びやすく、インパクトもある。
韓国は日本と同じように学歴社会で大企業志向・ブランド志向の強い国だ。そんなこともあり、世の風潮に疲弊した人々には救いの一言になったのではないだろうか。
「小確幸」台湾でブーム 村上春樹さんエッセーの言葉 - 朝日新聞デジタル
一方台湾では村上春樹が意図したものとは異なった(?)使い方がされている。小売業の「セールス文句」として使われているらしいのだ。
スイーツなどの商品名に「小確幸」が用いられている。確かにコンビニスイーツ等はまさに小確幸を表しているのかもしれない。私も今日久しぶりにサイゼリアで食事をしたが、無職の私にはそれが至福でしかなかった。
大きな幸せではなく、日常に幸せを見つける
バブルを経験した日本も、消費社会が激しくなり、誰しもが身の丈に合わない生活に夢を抱くようになったと言って良い。
結婚式は盛大。住宅ローンを組んで高い家を手にし、マイカーを乗り回し、子供には私立へ通わせる。一攫千金を狙って宝くじに手を出す、仕事で不正を働く、など。挙げればキリがないかもしれない。
が、そんな時代も不景気になるにつれて、収束に向かっていくかもしれない。大きい幸せに、国民の大半には手が届かなくなってきたからだ。届いたとしても、何かを犠牲にする羽目になるかもしれない。
大きな幸せではなく、小さな幸せ。それも、日常の中にこそ幸せは隠されている。その事実に、人々がだんだんと気付き始めたのかもしれない。
今は過渡期なのだろうと思うし、「小確幸」もこれからもっと広まっていく概念になるかもしれない。
本来の姿へ立ち返る
「大きい幸せから小さな幸せへ」。これは思考の転換というより、もともと日本人が持っていた考え方への回帰ではないだろうか。
というのも昔の日本人、いやどこの国の市民も皆がみな貧乏であり、身の丈にあった生活をしていたからである。
そんな生活の中で、多くの人が小さな幸せを見つけては、それを詩や俳句、随筆や文学にして記録していた。松尾芭蕉や兼好法師、鴨長明なんかは良い例だろう。また、多くの日本人が影響を受けていた中国古典にも、似たような記載はいくつもある。
国民がこれほど豊かになったのは人類史上初めてだろうし、今や未知の世界に成りつつある。そんな中で昔の人々が持っていたとされる「小確幸」の思想は、我々が生きる上でも大いに役立つ考えとなるであろう。早めに身に付けておきたいものである。
風もなぎ波もおさまって物みな静まりかえる。そんな静寂の中にこそ、人生の醍醐味を見出すことができる。
質素な暮らし、たまさかの物音。そんな枯淡の境地にあってこそ、人間本来の心に立ち返ることができる。
- 『菜根譚』より
私のここ1ヶ月で見つけた小確幸、小さいけれど確かな幸せを羅列して締めることにしたい。
- 自炊して作る味噌汁が美味しい。
- おかめ納豆が美味しい。
- 食パンとブルーベリージャムの組み合わせが美味しい。
- ランニング中にカブトムシが引っ繰り返っているのを見つけた。起こしてあげた。喜んでいるに違いない。
- 散歩中にカワセミを見つけた。光り輝いていて美しかった。
- カルガモを眺めるといつでも心が和む。
- シマリスを見るといつでも幸せになれる。
- ブログに反応があると嬉しい。
- 図書館で穏やかに一日を過ごす。心が休まる。
- 本を読んでると、次第にうとうとして、ちょっと寝れる。気持ち良い。
- ふとした時に友人から連絡がくる。思いがけない出会いを味わえる。
- 乃木坂46を拝めば、疲れも吹っ飛ぶ。
- 作者:春樹, 村上
- 発売日: 1999/03/02
- メディア: 文庫