宮城谷昌光『晏子』が最高に面白い。あらすじと感想。

宮城谷昌光作品の中でも傑作と言われる小説『晏子(あんし)』が非常に面白く、終章まで一気に読み切ってしまったのでご紹介したい。

もともとはというと、はてなの読者さんからコメントで『晏子春秋』をオススメされたので早速読んでみようかと思っていたのだが、日本語の文献が少なく、かつ買おうと思うとあまりに高価で、その上近所の図書館にも無い。しかしながら漢文もろくに読めない私がいきなり『晏子春秋』に手をつけるのは若干気が引けた気もしており、さてどうしようかと思っていたところ、なんと小説家の宮城谷昌光さんが「晏子」を書いていることを知った。

晏子(一) (新潮文庫)

晏子(一) (新潮文庫)

宮城谷昌光ヴァージンだった私だが、早速手に取ってみたが、後々調べてみると著者の中でも屈指の傑作らしい。で、その評判通りの面白さに圧倒させられた私がいた。

晏子とは

晏子とは中国春秋時代の斉の政治家、「晏嬰(あんえい)」のことをいう。小説では若い頃から天才と噂され、ついには斉の宰相(政治のトップ、日本でいう総理大臣)まで上り詰め、斉の繁栄に大いに貢献した。

晏嬰 - Wikipedia

この晏嬰、人気漫画『キングダム』(戦国時代)の一つ前の時代で、紀元前6世紀ごろに活躍した人物であるが、日本人のほとんどは知らないだろう。私もそもそも学生時代は三国志の人物(三國無双にハマったから)と始皇帝くらいしか知らなかったし、晏子についてはそれこそはてなの読者さんによって初めて耳にした人物であった。

ただ以前に読んだ以下の本にちょっぴり登場していた、のを後で思い出した。

本当の知性を身につけるための中国古典

本当の知性を身につけるための中国古典

  • 作者:守屋淳
  • 発売日: 2019/01/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

また、論語にも少しだけ登場していたりする。実は晏子孔子と同じ時代に生きた人で、何度かあって話をしているし、「晏子」や「論語」を見るに、お互いに尊敬しあっていたことが伺える。

彼はこの時代では一、二を争う名宰相と評されており、実は有名な四字熟語羊頭狗肉」の生みの親でもあり、そのエピソードは『晏子』でも描かれている。司馬遷の『史記』においてもおなじく斉の名宰相である管仲と並んで評され、「管晏列伝」(管仲と晏嬰)として書かれている。

晏子春秋とは

晏子春秋』とは、晏嬰の死後に彼を評した人々がその言行録をまとめたものであると言われている。内篇(六篇)と外篇(ニ篇)、およそ215章からなる戦国時代から秦朝末期の間に編纂されたらしい。

後の時代になってもその名前が残り、彼を尊敬した人たちが揃って言行録の作成に着手したと見る限り、相当な人格者で、かつ素晴らしい政治家だったのだろう。

日本語の文献は少なく、Amazonで買えるものとしたら以下だろうか。高い。。

晏子春秋 (新装版中国古典新書)

晏子春秋 (新装版中国古典新書)

  • 作者:山田 琢
  • 発売日: 1969/01/10
  • メディア: 単行本

ただし私の近所の図書館には以下が保存されていたので、早速読ませていただいている。

宮城谷昌光による『晏子

強国晋を中心に大小いくつもの国が乱立した古代中国春秋期。気儘な君公に奸佞驕慢な高官たちが群れ従う斉の政情下、ただ一人晏弱のみは廟中にあっては毅然として礼を実践し、戦下においては稀代の智謀を揮った。緊迫する国際関係、宿敵晋との激突、血ぬられた政変……。度重なる苦境に晏弱はどう対処するのか。斉の存亡の危機を救った晏子父子の波瀾の生涯を描く歴史巨編、待望の文庫化。
 - 『晏子(一)』より

さてその晏子を描いたのが小説家・宮城谷昌光さんで、これが著者作品の中でも傑作と評されている。

小説は『晏子春秋』はもちろんのこと、『史記』『春秋左氏伝』から引用して忠実に創り上げられており、オリジナル人物は登場せず、すべて史実に基づいた人物となっている。

ただし作中では晏嬰の父である晏弱(あんじゃく)も主人公の一人として描かれており、晏弱・晏嬰ともに晏子として世間から評されているようになっている。

晏弱 - Wikipedia

したがって、前半パートは晏弱が中心で、晏嬰も生まれていない。中盤に差し掛かるところでようやく晏嬰が生誕し、徐々に成長していく過程まで描かれている。『晏子』とは晏弱・晏嬰による晏子父子の物語なのである。

さてもともと晏家は武勇の一族ということもあってか、晏弱は名武将としても評されており、将軍としての合戦なども登場する。それもあって、身長が160cmにも満たない晏嬰には一族としてさぞ心配されていた。が、最終的には賢人とまで評されるから、それまでの過程がまた面白い。

宮城谷昌光晏子』の感想

宮城谷昌光さんの小説は初めてであったが、これほど面白いとは。時に小説とは「早く読み終わりたい」「早く結末が知りたい」などと思ってしまうが、『晏子』については真逆であった。「晏弱、死なないで」という思いが度々私の頭の中を駆け巡った。それくらい、私は晏弱が好きになった。

晏嬰パパと、蔡朝・南郭偃

前半パートは晏嬰パパの晏弱と、彼に心酔している蔡朝・南郭偃という2人の大夫(日本でいう貴族)の3人を中心にして描かれている。私はこの3人が本当に好きだった。

晏嬰も、もちろん大好きになったが、それよりも晏嬰パパの方が気に入ってしまった。この2人、父子でありながらそれぞれ全くタイプの異なる能力・考え方を持っており、それが一層晏嬰パパを気に入らせたのだと思われる。

晏嬰は名宰相である通り、何事に対しても、たとえ君主に対してでも臆することなく
物申す。そのうえ、きっぱりと隔たりなく諫言する。晏嬰が最後に仕えた恵公は全くの能無し君主(いわゆるクズ)であったが、晏嬰の諫言に対してキレずに(時々怒鳴っているけど、最終的には持ち堪えている)対応できたのは素晴らしいことだと思う。もし私が君主で、彼のような天才にズバッと言われると、凹むかキレるかのどっちかであろう。

小説内でも語られているが、諫言(上の位の者に対して諌める言葉を発すること)は非常に勇気がいることで、かつ上を怒らせることが多くなる。この時代の君主は絶対的な権力を握っており、一度君主を怒らせると、時には一族もろとも抹殺されるような、あまりに恐ろしい時代なのである。だからこそ諫言とはそう簡単にできるものではない。私のような能無しかつ臆病者には(そもそも大臣などになれないが)到底できることではない。

そのような恐ろしき諫言を、晏嬰は平気でやってしまう。現代の大半の政治家にも見習って欲しいくらい、見事であった。

対して晏嬰パパはというと、これまた見事であった。で、彼の好きなところは、私のような能無しに対しても分かりやすく、かつ怒らせないよう和らげて、遠回しに申しているところだ。晏嬰とは全く異なる言い方だが、これもまた賢さと勇気が伴わないとできない所業である。

さらに言えば、晏嬰は周りに対する配慮も素晴らしく、部下を気遣い、たとえライバルや敵であろうと敬い、約束は守り、受けた恩はきちんと返す。彼の一言一句、一つ一つのエピソードの中に優しさが、彼の人間としての素晴らしさが垣間みえて、私も蔡朝・南郭偃と共に心酔してしまったのである。

本書の最初の回は、大国・晋(当時、大国で二大強国の一国だった)が開いた会盟への参加であった。この会盟への参加前に、斉は晋国の郤克(げきこく)という将軍を激怒させており、それをきっかけに郤克は晋に訪れる使者を殺害することを目論んでいた。それを知った晏弱の上司はあっさりと自国に逃げ帰ってしまい、代わりに晏弱が務めて一行と晋に向かったのである。ここで晏弱は持ち前の胆力と知性を存分に発揮し、仲間を無事に斉に戻し、自らも捕虜となりながら最終的には無事に帰国したのであった。

このエピソードひとつで、晏嬰パパの部下と、読者である私とを感銘に浸らせた宮城谷昌光さんの文体が見事すぎるのだが、とにかくこれだけで私は晏嬰パパが大好きになった。

その後、晏嬰パパは小国である「莱(らい)」を少ない兵士で滅ぼしたりと、とんでもない離れ業を成し遂げてしまう。この時も「自国・敵国問わず決して多くの人々を殺めない」という精神のもと、考えに考えた計略を用いて攻略するのだが、晏嬰パパのその人としての優しさに、大いに感動してしまった。

そんな晏嬰パパの最期は見届けたくなかったし、ついに逝ってしまった時は、涙を流さずにはいられなかった。

晏嬰の清貧さ

晏弱が亡くなり、蔡朝・南郭偃も引退して表舞台から退場し、かなり寂しくなったのは言うまでもない。が、ここからの晏嬰の活躍は目まぐるしく、それが寂しさを和らげてくれた。

といっても最初は晏嬰があまり登場することはなく、中盤は戦争や謀略で埋め尽くされている。で、結局人間性のない人たちは誰しもが悲惨な死を迎えるのであるから、それを読むだけで、共に病死だった晏子父子は偉大だなあと感慨深くなるものである。

晏嬰の凄さは、私が非常に気になっている言葉・思想である「清貧」を、見事に体現している点であろう。

ご参考:「清貧」豊かな心で自由に生きる思想 - 傷鴨日記

彼は貴族、後に首相という位までに上り詰めておきながら、その生活は常に質素で、家はボロく服装も貧相で、食事は最低限で肉も食わず(当時、肉は高級品だった)、褒賞もろくに受け取らなかった。

景公はしきりに彼に領地や俸禄を与えようとするのだが、その度に晏嬰は断り、またその理由も明確であった。また、恵公が晏嬰のボロい家を見かねて彼の留守中に新しい家を建ててやったのだが、帰ってきた途端それを壊して元の居住者に土地を返すように部下に命じた。引退前、彼は自分に与えられていた領地を返上しようとした。晏嬰は清貧を貫き通して逝き、それが彼の名声に繋がったのだろう。

高い地位につきながら、市民同様の生活をする彼に、私は尊敬せざるを得なかった。孔子は「富を持って奢らないことより、貧乏であるが僻まない方が難しい」*1と言っているが、富を持ちながら清貧を維持するのは相当難しいように思えてならない。私なんかが富を持ったら、恵公のように平気で散財に明け暮れそうである。

これら、晏嬰の清貧さについては極めて感銘を受けたので、別途記事に書いてまとめてみたいと思う。

おわりに

生き方や政治のあり方、補佐役としての在り方など、小説ながら学べる点が数多くある。『晏子』は、現代を生きにくいと思っている多くの人にオススメできる名著である。これは、宮城谷昌光さんが『晏子春秋』を基に忠実に再現したからこそであろう。気になった方はぜひ読んでほしい。

私はというと、これで晏子父子には大変な興味をもったし、『晏子春秋』について知りたくなった。なので次は『晏子春秋』を読んでみたいと思っている。

*1:「貧しくて恨むなきは難く、富みて奢るなきは易し」論語より