傷鴨日記

軽症うつと失恋から立ち直り、起業を目指す乃木坂46ファンのブログ。

「軽症うつ」を患い、克服した話。

新卒で銀行の社内SEとして働いてきたが、軽症うつにかかってしまったことがある。

現在は回復して再度仕事に臨めているが、軽症うつになったことで私の体調や思考、環境、そして周辺にも大きな変化が生じていた。せっかくなので皆さんにも共有しておきたいと思う。

なお先に言っておくと、私は軽症うつによって多くの学びを得ることができたし、成長できた。企業や上司も恨んでいない。原因は多くは私にあり、部署が悪いわけでもない。※ただし部署ガチャで悪運を引いたのは間違いない。

※1 エクスプレッシブ・ライティング(不安や悪口を思いのまま書くことで自分のメンタルを整えるストレス解消方法の一種)の一環として書いている。とはいえインターネットに公開するわけで、なるべく配慮して書いたつもり。身バレも避けたいので、いろいろと変えてる。
※2 今まさに軽症うつにかかっている人には、刺激が強いかもしれないので控えてほしい。むしろ軽症うつの知識を知らない人や、軽症うつやうつ病になった人の体験談を見たことがない人に見ていただきたい。「知る」だけで力になる。

プロフィール

  • 都内にある銀行のシステム部門に所属して4年弱。
  • 昨年軽症うつを患い3ヶ月ほど休職し、無事に体調は戻った。復帰後は別部署への異動を希望して、今は徐々に仕事への復帰を行っている状況。
  • 高校までサッカー部に所属していたため、忍耐力はあると思っていた。
  • 大卒文系。ベンチャーや起業という思考もエナジーもなく、「とりあえず大企業」という古い考え方を持っていた。
  • 社畜性抜群。 素直でイエスマン。新人だから先ずは断らずに頑張ろうというお粗末な考え方があった。残業も辞さない。大企業なので残業代はマックスで出るし、別にいいやというお粗末な考え方があった。
  • 部署はバリバリのグローバル部署(システム部の下に何十もの部署があり、その1つ)。大企業はどこもそうだと思うが、部署によって雰囲気も文化も全く異なる。私の部署はとにかく忙しいし、問題視されている(はず)。
  • 4年間、寮に住んでいる。

誰にでも起こり得る軽症うつ

昨今「うつ(鬱)病」という言葉は大分と広まったであろうが、「軽症うつ」に関しての認知はさほどされていないように思える。私もこの概念を一切知らなかったせいで、自分が軽症うつにかかっていることに気づかないまま過ごしてきた。

私は以下文献により、軽症うつの概念を知り、自分が軽症うつであることを知った。

決定版「軽症うつ」を治す (角川SSC新書)

決定版「軽症うつ」を治す (角川SSC新書)

 

以下、「軽症うつ」のポイントを列挙しておく。

  • 「軽症うつ」にかかる人の多くは、それまで普通に仕事や学校に行くことができる。

  • 「軽症」の意味は「症状が軽い」ということではない。典型的なうつ患者と比べて抑うつ症状が目立たないということである。一見普通に会話もできるし、社会に適応できているように見える。しかしながら内側を覗いてみると、大きな苦悩に陥っている。

  • 患うきっかけは2つ。仕事や日常生活における環境要因と、別の病気などによって引き起こる内部要因とがある。

  • 病前性格な人ほど陥りやすい。病前性格とは一般的に「真面目」「献身的」「責任感が強い」「仕事熱心」「責任感が強い」などのことを言う。
  • 「軽症うつ」は感知しにくく、放置されやすい。初期症状は「寝つきが悪い」「立ちくらみがする」「肩凝りが酷い」など、掴み所のない症状ばかり。
  • 受け身の姿勢では治らない。薬を飲むから治るわけでもなく、最終的には自分で立ち上がらなくてはならない(セルフコントロール)。

症状名に「軽症」と 入るばかり大きな誤解を招くが、決して症状は軽くないということである。ということもあって最近では「軽症うつ」の代わりに「適応障害」の方が広まりつつあることを実感している。私の診断結果も正式には適応障害である。 そして初期症状があまりに掴み所がないため、気づきにくい。私も血液検査等々、すべて正常だった。

そして私の回復が早かったのは、ほぼこの本に書いてある通りの手段を取っていたからであった。

軽症うつにかかるまでの経緯

4年間、以下のタイムスケジュールで生きていた。

  • 5:00 起床・シャワー
  • 5:30 勉強
  • 6:00 朝食
  • 6:30 家を出る
  • 7:30 出社
  • 8:30 始業
  • 17:00 終業(残業開始)
  • 22:30 残業終わり
  • 23:30 帰宅・ご飯
  • 24:00 勉強 or ブログを書く
  • 24:30 風呂
  • 25:00 就寝

まあ、ツッコミ要素、というか自滅要素が多い。存分にツッコんで頂きたい。つまるところ、自分を過度に追い込んでいた。

上記はピーク時の時間であるが、寝る時間はだいたい23時〜25時。たまにブログをもっと書きたくて26時になることもあった。起きる時間はいつも5時。これは固定していた。いわゆる朝活(という洗脳)をやりたかったのと、満員電車を避けるため。おかげで電車(40〜50分程度)はいつも座れていた。

昼飯は最初は食えていたが、だんだんと仕事に追われ始めて食べなくなってきた。ピーク時は休憩をあまり取らず、どこかで15分〜30分仮眠する程度。

夜ご飯も最初は仕事中に抜け出して食っていたが、昼飯同様食べれなくなり帰宅後に食べることになった。だいたい松屋すき家吉野家すき家の豚皿定食には非常にお世話になった。

大企業なだけあって、年間を通して残業制限はあったし残業代もマックス。1年目は未だ余裕があった。しかし仕事に追われ始めた頃からサービス残業をちょくちょく始める。結局残業代のおかげで、同期と比べてトップの年収(400万程度だろうか)になっていたと思う。全く誇らしくない。

有給休暇はたくさん使えるし、10連休なんかも強制取得させられる。これはマジで有難かったが、多めに有休を取るみたいなことはあまり出来なかった。法令遵守は物凄いし、おかげでシステム会社としてはトップクラスのホワイト企業だと言える。事実同期はマジで楽しそうに生きてる。私は入る部署を完全に誤った。

部署がやばい

軽症うつになった要因の1つが部署の環境なのだが、とにかく私の部署は状況が芳しくなかった。管理職からペーペーまで全員残業しているし、早く帰っているのは時短勤務の人、そしてうつ病から帰ってきた人だけだ。明らかにおかしいし、周りの部署からとにかく問題視されていた。

しかし、これが治らない。経営層や人事部も状況は知っているはずなのに、あまり良い施策を打ってこない。忙しいおかげで飲み会が少ない(というより参加率が激低)のは最高だったが、謎に宴会芸はやらされた。そこは古いなと思う。というか私からすればアウト。

結局4年間、何も変わっていなかった。私が軽症うつになっても、変わっていなかった。休職する直前私は「この部署は見放されている」と思っていた。 これは冷静に考えれば分かる。現状銀行の最重要プロジェクトと言えば「勘定系の刷新(青い銀行がやってるやつ)」「AML(アンチマネロン)」「糞テックデジタル(予算をどんどん注ぎ込む)」などなど。最近のメガバンクや意識高い大手地銀は特にデジタル案件が増えてきているだろうし、このどれにも当てはまらない我が部署は見放されて当然である。なので、人も増えない。経営層に共感したくはないが、所詮この部署はその程度である。

1年目

配属面談なるもので、英語を使えるようになりたいと豪語した。これが私の運命を決めた。結果、軽症うつになったグローバルな部署に配属が決定。もちろん私は燃えていた。ここで成長するぞと。ただし、努力の方向を間違えた。成果より、時間を売っていたんだと思う。1年目から最初に挙げたタイムスケジュールになっていった。しかしながら1年目は全くのド健康。眠気は感じるが集中力もそれなりにあったし、どこかが不調になったわけではなかった。まだ身体が耐えていたんだろう。モチベーションも高かったし。 週末は必ず休みなので、寝て回復することができた。

いまよく覚えているのは、配属されたときに先輩から「地獄へようこそ」と言われたこと。今になって意味がよく分かる。

2年目

最初は大丈夫だったが、後半になるに連れて徐々に疲れを感じ始めた頃。土日に遊んでも疲れが残っていて、十分に楽しめなくなってきたのを感じていた。

イライラすることも増えた。普段は温厚なはずなのに、私らしくないなとは思っていた。新人も入ってきて、それも結構慕ってくれたので、やる気もあがった。けどその新人もあっさりと私と同じ様に残業放題になってしまい、なんだかなあという感じ。

2年目に入ってから、緊急時のコール先にも抜擢されてしまい(新人あるある)、夜中によく電話が掛かってきた。1時に就寝して2時に叩き起こされ、3時に出社、そのまま働き続きて18時に帰る。みたいなあり得ない働き方を数回経験した。

一番辛かったのは会社の送別会で幹事をして終電で帰り、寝ようとした瞬間電話が鳴ったこと。泣きたい。また、この年に6年上の先輩が鬱(軽症うつではなく本当の鬱)にかかり休職。結果的に退職にまで追い込まれた。ここで私はある事実を知った。この部署は休職者が多くて、過去に何人もの人が休職しては同じ部署に戻ってきている。意外な人(丈夫そうな人)が休職していたりして、この世界の狂気具合を知った。

3年目〜休職するまで

この頃、私は完全に死に始めていた。というか死んでいた。特にメンタルが。風邪を引くとか病院に行くとかは全く無いのだが、モチベーションは最低だった。この頃から、もうすでに軽症うつに掛かっていたんだろうと思う。症状は後述にて詳しく書いていく。

また、この年またもや1人が鬱(これも軽症うつではない)にかかり、休職。なぜ、休職者がよく出るのにも関わらず何もアクションが無いのか、マジで意味不である。

そして、私は「大丈夫な人」と認識されていた。これはマズかった。私もそう思っていた。自分は軽症うつなんかにはならない。身体もメンタルも、それなりに自信がある。大丈夫だ。そうやって双方が思い込んで、無茶した。無茶させたのであった。

症状

とりあえず感じたことを思うがままに書く。整理しないので共通点・類似点はたくさんあるだろうが気にしないでほしい。

  • 集中力が全く続かない。常に不安や考え事で頭がいっぱいになり、目の前の仕事に集中できない。常にタスク一覧を開いては憂鬱になり、物事が進まなくなる。
  • 頭が常にボーっとする。自分が何を考えているのかよく分からなくなる。常に頭が重い。
  • 物忘れが激しくなる。仕事中の「あれなんだっけ?」が極端に増えた。怖い。
  • 身体がだるい。
  • 返答に時間がかかる。人に問われてからなぜか時間がかかり、微妙に間が空いてしまう。これ結構怖い。
  • もともと無口な方であったが、更に喋らなくなる。同期と行く気楽な飲み会ですら、疲れが優先して大して喋れなくなる 。その自分に嫌気が刺す。怖かった。
  • 頭を押すと痛い。
  • 肩こりが増す。
  • 騒音に敏感になる。特に寮の廊下での騒ぎ声(銀行員の営業、ザ・体育系な奴はマジでうるさい)には酷くイライラした。
  • 休日が楽しくなくなる。遊びたくなくなり、とにかく寝たい。遊んでも素直に楽しめないし、会話も弾まなくなる。
  • 思い出として残らない。表現し辛いのだがこれも結構怖くて、思い出が全てが薄くなるというか、「楽しかったなあ」という気持ちが消える。数回結婚式に参加したが、あまり思い出に残っていないのがその典型。式中も嬉しさより疲れが強かった。人として最低なのだが、そうなってしまう。
  • 寝ても回復しなくなる。
  • 何事にも億劫になる。以前は頼まれ事に対しては熱心に取り組めたが、それができなくなってしまった。
  • 無気力になる。最終的には好きだった趣味も嫌いになる。これは最悪である。
  • 映画館が好きだったのに、上映中ですら不安が襲ってきたり、考え事をしてしまう。
  • 冷酷になる。頭がイカれて、部署内の同期や後輩に対して冷たくなる。これもマジで怖い。※仕事しすぎてる上司や経営者は確実にこの類で、イライラの予兆は確実に「働きすぎ」であると思う。
  • 英語が喋れなくなる。少しは喋れていた私だったが、日本語→英語の変換ができなくなる。簡単な単語でさえ思い出せなくなり、会話ができなくなる。
  • 不満が溜まる。あらゆる物事を自分のせいではなく、上司や同期を責めることで解決しようとする。
  • 先延ばしばかりする。

こうして症状を書いてみるといわゆる「うつ」に近いし、これを我慢していたら症状はもっと重くなっていたんだと思う。早めに治療して本当に良かった。

うつ病」との決定的な違いは、「死にたい」のような感情は一切なく、自傷行為もないということだろうか。

ただ怖いのは、うつ病のような症状が出ていてもそれに気付かないことだ。今思い返せば多くの症状が出ていることが分かったのに、当時の自分は思考能力が低下していてそんなことを考えなかった。考える余裕もなかった。知識もなかったし。

気付けたのは、休日横になりながら、リラックスした時。ふっと「もしかして相当疲れてるんじゃないか」と感じ、軽症うつの知識やストレスチェックなどを行ってみた。そこで自分は相当やばいことに気付いて病院に向かった。

休職を決断した日

休職の直前は、ついに身体までおかしくなっていた。頭痛や眼の疲れが酷くなり、寝付きも悪くなった。仕事が出来ないというわけではないし、これは単に疲労が原因なのであろうが、これがメンタルに更に影響を与えたのは言うまでもない。

休職を決断するのに勇気は必要だった。 今は全くそんなことは思ってもいないが、当時はとにかく自分に対して情けなさを強く感じていた。

「なんて弱い奴」

「職場の皆さんに申し訳ない」

「何も成し遂げられていない自分に腹が立つ」

それで時々寝れなくなり、涙を流したりもした。しかし踏み切った。

正直に言えば、私を繋ぐ糸は未だ切れてはいなかった。働こうと思えば働けただろうし、耐え忍ぶことを選択することもできた。しかし最後は自分で自分の糸を切った。

踏み切れた理由はいくつかある。一つは、本当に逃げたくなり、そしてそれを容認する社会になりつつあること。もうメンタルも身体も異常だったし、とりあえず休みたくなった。そして社会に「鬱」や「働き方改革」、「ブラック企業」という概念が広まり、対応せざるを得ない状況に陥ったこと。概念は私を後押しした。「鬱」という概念が私を「鬱」にしたとも言える。※これが「新型うつ」を生んだ要因であろう。

また、皮肉であるが、過去に鬱で休職した人が何人もいること。私だけじゃないんだ、という気持ちは結構後押ししてくれる。いかにも日本人らしいが。※鬱は感染する、とも言える。

さらに、大企業というサポート体制抜群の会社に在籍していたのも大きいかもしれない。休職しやすい環境が既にできている。やや誤解を招く表現だが、診断書があれば直ちに対応してくれるし、部署の上司ではなく全く関係の無い人が手続きや仲介を行ってくれる。この点は非常に助かった。なので、逆を言えば上司に相談せざるを得ない環境の人(全員が知り合いになる社員の少ない中小企業とか)はキツイだろうなと思う。

ということで会社に連絡し、病院に行って医師から診断を受け、診断書を受け取った。それらを会社に伝え、診断書を渡して休職することが決定した。

どのように回復したか

休職中は実家に帰された。家族は非常に心配しただろうが、安心してもくれた。

私も、25歳という若い頃にかかって良かったと思う。これがもっと年取って色んな責任なり負債なり何なりを抱えていたら、ダメージは大きかっただろう。周りへのダメージも。逆を言えば、若かったから休職に踏み切れていた、とも言える。責任というプレッシャーがあれば、休むに休めなさそうだから。

きっちり睡眠を取り、健康な食事を取り、仕事のことは一切忘れた。最初の1ヶ月はメンタルに大きな変化はなかったが、体調は戻りつつあった。

2ヶ月目は映画をたくさん観て、本を読んで、お出かけすることができるようになった。没頭できるようになった。こういう事がすんなりできるようになったのも、重度な鬱にまで至ってなかったからだろうと思う。酷いと趣味にも没頭できなくなるらしい。

故郷にいる友人とも会った。最初は億劫だったが、会えるようになるまで回復したということだ。友人との会話は、私を大いに元気づけてくれた。 また、会社の人には言えないが旅行にも数回行った。新しい景色に出逢い、温泉に浸かることに大きな喜びを感じた。もうほぼ治ったんだろうなと感じた。2ヶ月目でほぼ治ってきたのだ。

念の為、当初の通り3ヶ月休んだ。というのも仕事に対するやる気は未だ微妙だったから。3ヶ月目は、これからどうするのかを考えた。私の健康は。仕事は。キャリアは。お金は。今までの生活や自分の思考を省みて、未来の計画を立てることにした。そうやって考えることができるようになったのだ。再び自分の可能性を見つめ直し、情熱を持つことができるようになったのだ。ここで私は就活の頃、新卒の頃の感情を思い出すことができた。

私を回復させてくれたもの

効果が高い順で書いていく。

早めに逃げる、休む

まあ、言ってしまえばこれに尽きるのだが。 私が早く回復したのは、重い鬱になる前に休んだこと。逃げたこと。 「逃げるのはダメ」なんて意見は多くてそれに縛られる人も多い。けどそれは意見であって、なんの効力も無い。自分の本当に意思に従ってさっさと逃げたことが幸いした。だから今少しでも辛いと感じてる人は、選択肢の1つとして「逃げる」ことを加えておいてほしいな。ポケモンにも「逃げる」コマンドあるでしょ。あれだ。

家族、友人、同期、先輩、人事部や産業医

私は人によって鬱になり、人によって回復した。家族や友人の支えは大きかった。同期や先輩からの応援メッセージも嬉しかった(最初はちょっと嫌だった)。人事のおじさんや産業医も、私の言葉に耳を傾けてくれた(それが仕事なんだろうけど、大事だ)。色んな人に支えられたおかげで、徐々に回復することができたんだと思う。

十分な食事と睡眠

当たり前な話であるが、きちんとしたものを食べて、きちんと睡眠を取る。これだけで人間、回復するもんだなあと改めて実感した。人間、休めば治る。

本、映画

色んな人の色んな言葉やストーリーは私を大いに元気づけてくれたと思う。オススメなんてものは特になくて、なんでもいいから触れることが大事なんだろう。 ちなみに私を大いに勇気付けてくれた本は以下。

この3冊は特に効いた。偉人も失敗していて、それをバネに伸びたっていうのは単純だがとても元気になった。鈴木祐さんの2冊は、今後軽症うつが再発しないようにする上で役立つ知識が満載だった。以下は観た映画やドラマ。

アクションやコメディ物など何も考えずに観ていられる作品もいいが、やっぱり心が弱まった自分を元気ずけてくれる作品は最高だった。プーさんはマジで刺さる。

ワールドカップ

良いタイミングでやってくれたと思う。イングランドと日本の快進撃には感激したし、私を勇気づけてくれた。

自然や温泉

療養したい時こそ行くべきだなと感じた。効能があるかどうかは別として、本当に癒やされた。

YouTube

ガッチマンとかゲーマーの動画を観ているだけで、自然と元気が出てきたのを今でも覚えている。

乃木坂46

ちょうどハマり始めたということで、ライブにまで行った。アイドルのあの頑張り具合は目を見張る物があったし、とにかく感動した。俺も頑張ろうってなった。

閑話休題 

乃木坂46に元気づけられた一方で、ちょっと凹んだのもまた事実である。なぜかというと、アイドルの壮絶とも言える大変さを目の当たりにしたから。この人達はこんなにも頑張っているのに、私はちっとも頑張っていない。むしろ逃げてる。元気になるためにライブに行ったはずが、少し考えてしまった。疲れている時の思考は怖い。

アイドルの大変さは想像するだけでも恐ろしい。とにかく良い子にならないと社会が認めてくれない。良い子にならないとマスコミ、世間、ファン、そして社会が認めてくれない。ちょっとでも誤ちを犯せば大バッシングの嵐。めちゃくちゃしんどいだろう。

私達は居酒屋だのSNSだの自宅だの、吐け口がいくつもある。注意さえすれば問題なくストレスを解消できる。アイドルはそれができない。バレる可能性大で、リスクが大きいから。ずっと笑顔で、ずっと良い子にならなくてはならない。そしてエースになればなるほど、仕事もリスクも増える。

しかも現代のアイドルは長時間ファンと握手をしなくてはならない。倒れるくらい長時間。無理だ。絶対無理。そしてそれをこなす彼女たちはすごすぎる。よくこんな極度のストレスに耐えられるな。本当に尊敬する。可愛いとかそういうレベルではなく、もはや尊敬する。

けれど私と同じように休んでしまった人はいる。乃木坂にもたくさんいる。追い込まれてしまった人がいる。本当に辛いだろうし、今にも逃げ出したくなるだろう。

私達にできるのは応援することだ。そして休むことを容認すること。彼女たちの誤ちに対して寛容になることだ。マスコミが変わるのはおそらく無理だ(それがビジネスだから)。だからどうかTwitterで叩くのはやめてほしい。ましてや握手会で暴言を吐くなど、やめてほしい。ちょっと想像すれば分かる。私が病んでいた時に、仮にTwitterで私を叩いているのを見たら、死ぬわ。実際私は職場の人に何らかの嫌味を言われていただろうと思う。それを考えるのは辛かった。けどその逆で、たくさんの応援が届けば回復も早くなる。私は色んな人から色んな暖かいメッセージを受け取って回復したのだ。心が病んでいるときほど、その振れ幅も大きくなる。

誰しもがアイドルを応援する社会になってくれたら良いなと心から思うし、私はそのようなファンでいたい。

なぜ軽症うつになったのか

ではどうして軽症うつにかかったか。

直接的な原因はみなさんもご察しの通り、長時間労働、寝不足、栄養不足の3点セットである。毎日鬼のように働いていて、寝不足に陥って、ファストフードばっかり食べていた。確実にやばいやつである。

これらが私の気持ちをプスンとちょん切ったのは紛れもない事実であり、これを解消しないことには軽症うつになる確率が膨れ上がってしまう。

だが私と同様あるいは私以上に劣悪な環境でも平気で働いている人は数多くいる(もちろん彼らが予備軍であることには間違いない)。私以上に残業しまくってる人もいるし不摂生な人もたくさんいる。けどそれを楽しんでいる人だっている。というか私なんてまだまだ新人の域で、大きな責任は担ってないにも関わらず軽症うつになった。まあ色んな意見があるだろうが、軽症うつを出しまくってる私の部署と私は何がだめだったのか。考えてみることにする。

思い込みが激しい、プライドが高い

素直というか、色んな思考やバイアスが私を追い込んでいたのだろう。私は自分という自分を確立していなかった。

私は他人の感情を無意識に感じ取ろうとしてしまう。本来他人の感情なんて一切分からないはずなのに、表情や態度から色々勘ぐってしまい、無駄にストレスがかかっていた。

そして疲れと共にネガティブ思考に侵されていた。

「なんか嫌われているかも?」

「もしかして怒っているんじゃ?」

そんなことどうでも良いはずだし、何なら他人は大して自分のことなど気にしていないのがオチだ。しかし私はいつもそんなことを考えていた。無意識に。

また、私は真面目で不器用で、そしてプライドが高かった。

「男はこうでなくてはならない」

「新人は常に100%で仕事に取り組まなくてはならない」

「人格が仕事を左右する」

「英語・会計・プログラム、その他あらゆるスキルを身につける必要がある」

こんなことばかり気にして馬鹿みたいに高い理想像が勝手に出来上がって、それに従って行動する。そして完璧主義者になり、小さなミスにも落ち込み、無駄にストレスを溜め込む。そして理想と現実のギャップに苦しめられていき、徐々に疲弊していったのであった。

モチベーションが劣悪すぎる

これからの企業は、残業規制やキャリアのフォローアップを更に拡充するであろう。それをやらないと取り残されるし、鬱患者も減らない。これらの施策は今後の楽しみにしておくとして、問題は従業員のモチベーションの維持、あるいは向上である。

私の部署はその点でいうと最悪中の最悪。誰もが死んでいて、誰もこの仕事に情熱を向けていなかったし、楽しんでもいなかった。責任はなるべく回避し、チームワークの欠片も無かった。

常に周りからマイナスワードが飛んでくる。

「この部署は終わっている」

「辛い」

「なんでこんなことしてるのか分からない」

私はそんなことは口にしないものの、それらの言葉に心を動かされていた。雰囲気は伝染する。

これは管理職の責任が大きいと思う。責める気はないが、私は見事にハマったからあえて唱えたい。この部署で働いてもミッションや意義が全く見えてこなかった。私は、何のために働いているのか分からなくなった。私の扱っているシステムは重要度も低く、最悪なくても良さそうなシステム(と思うようになった)。なんでこんなシステムを作っているのか、なんでこんな機能が必要なのか。答えられる人はいなかったし、答えても全く響かなかった。おそらく誰しもが思っている、「これ別に無くて良くないか?」と。それでもあーだこーだ理由をつけてやれと言われる。

「ユーザー部がそう言ってるから」

「やらないといけないから」

理由になってない。

要するにリーダーがいなかったのだ。割り切っている人は、ミッションなど無くても全く問題ない。単純に楽して、給料が振り込まれるのをじっと待ち、自分の趣味をひたすら楽しむ。そういう人は業務には大して貢献しないけど、強い。私はそのタイプじゃない。仕事に意義を求めたかったし、何か目標を持って臨みたかった。

akasugu.fcart.jp

イムリーにこの記事を見かけたが、子供だけでなく大人も同じなのだ。ミッションを提示して、期待してくれれば、自然と動く。自分でミッションを見いだせなくなった私にも問題はあるが、欲を言えばこんなリーダーに出逢いたかった。

特に金融系システムは「やりたいことをやる(want)」というより「やならければいけないからやる(should)」案件ばかり。AMLはまさにそうだし、勘定系もそう。銀行のフィンテックが糞テックになりやすいのは、一見wantのように見えて、実はshouldで作ってるから。そんなんで良いシステムなんでできやしない。

だからこそ、経営層はいかに従業員を奮い立たせられるか、真剣に考えたほうが良い。 私が苦しい苦しい高校サッカー部でなぜ耐えれたか。それは優勝という大きなミッションがあったから。そして全員がそれを夢見ていたから。おかげでチームワークは私がこれまで所属してきたどのコミュニティよりも結束していたし、やっぱり強かった(結果見事に優勝した)。

テストができない私たち

私たち(私と部署と、その他の大半の職場の方々)はシステムのテストに関しては事細かく検証する。その癖に自分の健康や働き方、組織の在り方については一切テストをしない。 自分でテストして、効果を見て、続けるか止めるか判断する(これをメンタリストdaigoが『オプティマイザー』と概念付けていて興味深かった)。

こんな簡単なことが日常的に実施できないのはあまりにお粗末であった。

私の視点で話す。まず1日のタイムスケジュールはいくらでも改善できたはず。5時起きの習慣化は確かに私の人生を変えたが、就寝時間をコントロールできなかった私にとって、5時起きという習慣は毒物に変わっていった。

なぜ、効果が薄くなった時点で改善しなかったのか。朝シャンは本当に必要だったか。果たして本当に朝食を取る必要があるか、検証して改善すべきであった。

それらを全くやってこなかった私は、次第に疲れとストレスが溜まっていき、ついに切れた。

次に組織の視点で話す。なぜ無駄な会議を減らさないか。効果が無い会議が大半なのに(進捗会議、本当にいります?)、なぜ効果測定を行わないか。無駄と分かっているのになぜ削減しないのか。いくらでもやりようはあっただろうと思う。一度、外部コンサルでも雇って徹底的に洗ってほしいくらいである。

ある意味、私の部署はある人の独裁政権であった。効果が無いと分かっているのに勝手に必要だと判断して会議設定する。「やる意味ありますか?」と聞いても「あるものはある」と言って聞かない。マジでやめてほしかった。おかげで、日中はほぼ会議なんてものがザラであった。

残業を一概に悪というのは誤りだと思っている。私はどっちかと言うと残業によって軽症うつになったと言うより、残業規制によってタスクが終わらないことにストレスを感じて軽症うつになった。という表現の方が近い。

まあ要するに無能社員なわけであるが、いかにして定時上がりをする、あるいはプロジェクトを遅滞なく進行させるかを考えることができなかった。何らかの施策を行うことができなかった。これは私だけでなく、他の社員も、管理職も、全員がである。

経営層はなぜ残業を規制するのに、案件は減らさないのか。本当にこの案件は必要なのか、1つずつ吟味してほしいくらいである。

これからどうするか

今は復職の一環として、仕事の量は抑えられている。これからまた本格的に仕事を再開するわけであるが、再発させないためにも自分はどう行動すべきなのかを考えてみる。環境が変わったとしても、同じ様に働けば絶対に苦労するから。

家族や友人からは転職も勧められた。もちろん選択肢の1つではあるが、安易な転職は危険だろう。もちろん基本的な対策はきっちり取る。十分な睡眠を取り、栄養のある食事を摂る。生活リズムを整える。運動習慣を取り入れる。それ以外に、できることはないかを考えてみた。

思考を変える

働き方を変えるには、先ず思考を変えないといけない。真っ先に思いついたのはこれだ。

私はあまりにも社畜力が高い思考を持っていた。ドマジメで完璧主義で献身的で、頼まれたら断れない考えを持っていた。別に悪いことではないし、今でもこの精神は大切にしていきたいと思っている。しかし考え方、動き方を考えないと自分を追い込み、今回のように仕事を放棄することになり、信頼を失う。

 

「鬼のように働け」とか別にそういう会社じゃないし、あまりに偏った上司がいたわけでもない。今まで色んなクソみたいな自己啓発書を読んだせいで、洗脳されていたのかもしれない。この考えを変えなければ、再び同じ結末が待っていることは目に見えている。思考を瞬間的に変えるのは無理だ。しかし徐々にでも良いので私の古い考えは改めていこうと考えている。

というか私がここまで書いていて感じたことがある。もしかして思考を変える過程で軽症うつになったのかもしれない、ということだ。今は軽症うつになったのが悪いことだなんて考えていないし、むしろ回復期間を通して色んな角度から私自身や環境を見つめ直し、整理することができている。この為に軽症うつに掛かっていったのかもしれない、なんて考えた。

自分はどうなりたいのかを考えてみる

ちょっと大きな話になってしまうが、自分の人生についてしっかり考えてみたいと思う。就活の時は、実は真剣に考えていなかったように思えたからだ。選択肢が就社、すなわちサラリーマンになることしか考えていなかった。自分の人生はサラリーマンなんて誰も言ってないのにも関わらず、勝手にサラリーマンになる道しか考えていなかった。

自分は何者になりたいのか、何をしたいのか。自分はどう生きたいのかを考える。時間のある今こそこれをやっておきたい。それで納得できる答えが見つかれば、色んな選択肢が見えてくるのだと思っている。

おわりに

「俺は鬱にはならないと思う」

本当に誤解していた。環境次第では誰でも成り得るのがうつ病や軽症うつであり、全員がこの事実を知っておく必要があることを身をもって知った。

私はこの経験を通して強くなったと思うし、多くを学んだ。前へ進めるようになったと思う。自分と周囲の失敗に対して寛容になれると思う。私の会社は心の病に対して理解があり、サポートしてくれる会社だった。感謝したい。これからは患者を発生させないような会社づくりをしてほしい。そして最終的にはこのような会社や人が増えて、誰しもが立ち直れるような社会になってほしいと思う。