傷鴨日記

自分の人生を歩み、人の為に生きる。

銀行を退職して無職になる。

ここ数ヶ月 — いや1年ほどだろうか — というものの、私は「自分は何のために生きているのか」「どう生きるべきなのか」ということを常に考え続けてきた。そして、当初は選択することなど有り得ないと考えていた、無職になることを決断するに至った。

転職、独立開業、起業、あらゆる選択肢を挙げて考慮したが、どうして無職になることに決めたのか。 

きっかけは休職で、これを機に私は自分の人生について見直すことになった。休職前はというと仕事に忙殺され、何も考えない、何も考えることのできない自分がそこにいた。事実、休職前の半年ほどは仕事をしていたという実感もなく、何をしていたのかも大して記憶にない。恐ろしい。ある時ふっとそんな自分に危機感を覚え、瞬く間に病院へ赴き、休職することになった。(過去記事参照)

休職してからはというと一先ず健康体に戻すことに専念したが、心が平静になってからは時間を持て余すようになった(休職は暇との戦いでもある)。そこで冒頭で挙げたように、「自分は何のために生きているのか」「どう生きるべきなのか」ということを考えるようになった。大変贅沢な悩みだと思う。

そこで中国古典を読み漁ったわけである。巷に溢れかえっている、いわゆる自己啓発書も読み漁ったが、これがどうも響かない。実践しようにも、どうも私の心がそれを許さない。そんな時に出会ったのが渋沢栄一の『論語と算盤』で、これが私の心を大きく揺さぶった。ここから渋沢が参照していた中国古典に興味を持ち始め、『論語』、『菜根譚』、『近思録』や『伝習録』などと広がっていったわけである。

そして、一言でいうと「自分の人生を生きて、人の為に生きる」という明快な結論に達した。

わたくしが虔州で病に臥した。先生がいう、「病というこの物はなかなか格すに容易でない。ところで君はどんなことに気がつきましたか」
答えていう、「功夫が非常に難しいということです」
先生がいう、「常に快活でいようとするのが、この場合の功夫だよ」

- 『伝習録』より

これまで私は、得体の知れない何かに自分の人生を振り回され続けてきた。時には家族の言葉、時には友人の言葉、時には世間の言葉。私は大変流されやすい性格で、いや、流されやすい性格になってしまったので、とにかく社会の常識から逸脱しないように過ごしてきた。「普通」こそ最上で、そこを目指すべきだと信じるようになった。

銀行員になったのも、結局はそんな理由だったのだと思う。認めたくはない。当時はこれが自分の決断なのだと言い聞かせて入社したが、決め手は親の気持ちだったと思う。名の知れた立派な大企業に内定が決まって家族に報告したところ、大変喜ばれたのを今でも鮮明に覚えている。そして、その反応にとてつもなく安堵した自分がいたことも、よく覚えている。

私は新人らしい新人だったと思う。野心に溢れ、知見の獲得、出世を目指して一直線だった。人には親切に、謙虚に、任された仕事はなんでも引き受け、とにかく貢献したいという気持ちが強かった。ただし何の能力も持ち得ない私が取った選択肢はというと、つまりは「自分の時間を売る」ということだった。とにかく生活の大半を仕事時間に捧げることで、なんとか貢献しようとした。これは誤った選択だった。いつしか疲れが溜まり、人に向き合えなくなり、焦燥するばかりになった。思考は止まり、何の貢献もできなくなっていった。人には親切に、と言いながら、人を不幸にしていた。それが嫌だった。結局私は何の意思表示もせず、ただ時間を差し出すという困った新人に成り下がっていったのだった。

休職して、改めて振り返ってみると、自分の人生を生きていないことに気が付いた。私の半生はというと自分の決断で動かず、誰かの判断に頼って生きていたことに気が付いた。自分が決断していないことから、不満や悩みを他人のせいにするようになった。給料が少ないのは経営者のせい、良い生活ができないのは政府のせい、幸せになれないのは他人のせい。

このままではマズいと思った。自分が変わらねばならないと思った。

だから、もう自分の人生を生きるしかない。言い換えれば、私自身で考え、判断して、決断して、最後は自分で行動に移していくしかない。自分が大切だと思ったことをやり、自分が好きなこと、意義の感じること、得意なことに一生懸命に取り組みたい。その上で、人の役に立ちたい。そうしないことには何も変わらないだろうし、一生後悔するだろうし、不幸に生きていくことになるだろう。それだけは御免である。 

悪いと知りながら改められないのは、自分に打ち克とうとする心が足りないということだ。

- 『論語と算盤』より

それでは自分の人生を生きる、とはどういうことか。まず、自分はどういう人になりたいか、ということである。

恐れながら言うと、私は誠実に善良に自由に、未来に希望を持って生きたいと考えている。人に親切にするのは好きだ。自由な発想をするのも好きだ。それを生涯貫き通したい。間違っても過去と同じように自分を酷使し、周りを不幸にするようなことはしたくない。

人が笑っているのを見るのは嬉しい。人に感謝されるのも、これまた嬉しい。ならば人に感謝される人生を送ろう。己を修養し、自らの価値を高め、個としての自分を発揮し、人の役に立とう。そして幸せになろう。そう決めたのである。

つまり、私だけが幸福になることはまずあり得ない。私だけが贅沢して、いわゆる世間や周りの人が尊敬するような地位に着くこともできるが、それが私にとって本当に意義ある生き方とは思えない。自らが裕福になり、他人を見下すような態度を取ることなどあり得ない。

自分が行動を起こし、自分の得意なことで、可能であれば自分だけができることをして、人の役に立つ。そして感謝される。その結果、周りも私も幸せになる。そういう人生を歩みたい。「自分の人生を生きて、人の為に生きる」とはそういうことである。

もちろん、銀行員としてそのような人生を送ることも不可能では無いし、銀行業が世の中にとって大変意義深い業であることも理解している。しかし、この世界が金や名誉、欲望や嫉妬に振り回されやすいこともまた確かである。実際、年齢を問わずそれらを体現した悪魔のような人間もいるし、傲慢な人間もたくさん見てきた。また、銀行の特殊な出世や給与システムもまた、そういった気持ちを促進させるようだ。こんな世界で私の意志を最大限に発揮することは不可能だろうと、そう思った。誠に自分らしい生き方をするには、今の会社から飛び出す必要があるというのが、私の率直な気持ちなのである。

名誉や地位を得ることが幸せだと思われているが、じつは、名誉も地位もない状態のなかにこそ最高の幸せがある。飢えに泣き寒さに凍えることが不幸だと思われているが、じつは、飢えもせず凍えもしない人のほうがいっそう大きな不幸を背負っている。

人は名位の楽しみたるを知りて、名なく位なきの楽しみの最も真たるを知らず。人は饑寒の憂いたるを知りて、饑えず寒えざるの憂いの更に甚だしきを知らず。

 - 『菜根譚』より

無職を選択した理由については、もちろん先に挙げた地位や名誉からの脱却も一つの理由であるが、それが全てでは無い。一番の理由は、「お金」という魔力からの脱却である。

私は貧乏を知らない。貧乏を経験したことが無いからだ。幸運なことに、日本で生まれ、中流階級の両親に恵まれ、これまでお金に不自由のない人生を歩ませて頂いた。本当に感謝しかない。

ただしそのおかげで、人としての真の強さを持っていない、小さな人間になってしまった。これは思うに環境のせいではなく、単に自分がお金という恐怖に立ち向かえなかったことが原因だろうと考えている。要は、常にお金という一種の安心材料を求めながら生きてきたことにより、むしろお金ばかり考える人間になってしまった。両親からたくさんのお金を貰い受けたことで、むしろお金が無くなることに恐怖を覚えるようになってしまった。お金に目が眩み、安心を求めて大企業の正社員になってしまった。安い給料(と言うと世間からバッシングを受けるかもしれないが)に不満を抱きながら3年間を過ごしてきてしまった。明らかに人として良くない、人として正しくない道を歩んでいるように思えた。

この気持ちに真正面から立ち向かい、真に強い人間になるには、一度お金から離れるべきだ。更に言えば、お金が減っていくという状態を味わうべきではないか。その恐怖(かどうかは経験してみないと分からないが)を味わうことで、私の心の中の何かが動くのではないか。そう考えた。

想像すれば分かることかもしれないが、経験しないと分からないこともある。

無論、苦しむことは間違いない。が、それよりも私は、日常の幸せに気が付けることを期待している。お金が無いなりの生活をし、自分を律し、質素倹約に生き、その中で楽しみを見つける。これで生きていけるという実感を得て、衣食住の有り難みを知り、生きることの楽しみを知る。人との繋がりに喜びを得る。

だからこそ、あえて一度職から離れ、心の思うがまま生きていくことにしたい。一人暮らしを経験して、自炊して、掃除をして、時には読書を嗜み、充分な睡眠を取り、生きていることを実感したい。

もちろんお金が底をつけば働くつもりだ。再就職は難しいと人は言うが、私は人生などいくらでもやり直しがきくと信じている。信じることに「決めた」のである。なので、思い切って引き金を引くことにした。

貧しくて恨むなきは難く、富みて驕るなきは易し

- 『論語』より

孔子曰く、金持ちになったからといって威張らないのは立派だが、それはまだ容易なことらしい。それよりも難しいのは、貧乏でも僻まないこと、なのだそうだ。この気概を得たいものである。

最近はというと、私と同じようにお金に目が眩んでいる人が多いように思える。私以上にお金に執着している人も多いだろう。もちろん富や地位を求める人生も悪くは無いが、それを目的にしてはならない。それを目的に富を得た人がやたらと注目されて、半ば崇められるくらいまでになってしまったが、大変危険な潮流であると思う。

お金が中心的、絶対的な考え方は誠に危険である。自らの状態に僻み、たとえ正当な手段を持って富を得た人々に対しても、嫉妬心を抱いてしまうからである。

私はこの考え方から脱したい。日常から幸福を得る、他人と比較して僻むことなく自分に向き合い己を修練する、自分で道を創る。それが望ましい姿だと思っている。

まっとうな生き方によって得られるならば、どんな賤しい仕事についても金儲けをせよ。しかし、まっとうではない手段を取るくらいなら、むしろ貧賤でいなさい。

- 『論語と算盤』より

私には無職を経験したいという気持ちの他にも、いろいろな好奇心が芽生えつつあることを実感している。いつかは事業を立ち上げたいとも思っているし、大学に通い直したいという気持ちもある。私なりに一生懸命に取り組み、一つずつ成し遂げていきたい。もちろん人しての道を踏み外すことなく、偉人たちの言う、まっとうな手段を以って人の役に立ち、お金を稼ぎ、幸福を得たい。

さて決断してからはというと行動も早くなるもので、すでに会社に退職の意向は伝え、残すところはただ退職日を待つ、という状態だ。会社の人からは安定、キャリア、福利厚生、世間の目、いろんな側面から説得されたが、残念なことに動じることはなかった。私の中で迷いが晴れた証拠なのだろうと思い、ついに退職の意を曲げることはなかった。私の気持ちに対して懐疑的な人もたくさんいるだろうが、応援してくれる人とも出会えた。心配しつつ後押ししてくれる人とも出会えた。本当に嬉しい。ある側面から見れば大変良い会社なので、(人に薦めはしないが)入社して良かったと思う。退職までは仕事に向き合い、円満に別れることにしたい。

時には喜び、時には苦しみながら、その果てに築きあげた幸福であれば、いつまでも持続する。
時には信じ、時には疑いながら、熟慮の末につかんだ確信であれば、もはや動かしようがない。
一苦一楽、相磨練し、練極まりて福を成すは、その福始めて久し。一疑一信、相参勘し、勘極まりて知を成すは、その知始めて真なり。

 - 『菜根譚』より

いつかこの選択を後悔する日が訪れるだろうか。社会に絶望し、屈して、抗うことなくただ死を待つような日が訪れるだろうか。分からない。訪れるかもしれない。しかし少なくとも、やってみないことには分からない。転んでみなければ分からない。その時立ち上がれるか屈するかは、自分で選択する。それだけは確かである。

これまでの選択と違う点は、今回の決断は紛れもなく自分で決断した、ということである。人の意見も聞きつつ、何かに流されることなく、自分で決断したのである。これで後悔したら、全てに後悔することになろう。そんな事態にはならないと信じているが、少なくとも自分で決断し、行動に移せたことには誇りを持って生きたい。

しくじったらどうする、と会社の人にはよく言われたが、そうなったらやり直せば良いのである。また別の形で働けば良いのである。またやる気が失せて休養することになるかもしれないが、それでもまた立ち上がれば良いのである。この気持ちさえあれば、なんとでもなる。きっとなんとかなると胸に誓う。希望を持って生きる。

たとえば、路を行く人が、もしけつまづいて転んだなら、起き上がってまた歩けばよいことで、転倒しなかったふりをして欺く必要はない。
諸君は、「世に埋もれていても悶えることなく、自己の正しさが認められなくても悶えることのない」(『易経』)そういう心を抱きつづけるべきである。
この良知にもとづき、ねばりづよく実行していき、人に非難嘲笑されようと、誹謗されようと、賞賛されまた侮辱されようと、いっさいそれに動ずることなく一進一退があればあったでそのまま功夫をつづけていくがよい。何よりもこの良知を発揮すること、ここにこそ自己の存亡をかけていったなら、長い間には必ず、自然と悟るところもあり、世上のどのような事柄にも動かされることがなくなる。

- 『伝習録』より

私は私の道を行くことにする。あなたはあなたの道を行ってほしい。

いつしか私という生き方を通して、どこかの誰かに良い影響を与えられたら幸いである。なので引き続きブログは続けていきたいと思う。もしかしたらあっさりと野垂れ死ぬことになるかもしれないが、歯を食いしばって生きていくつもりだ。それがどこかの誰かに勇気を与えられたら幸いである。

これからの私の行く末を見守って頂ければ嬉しい。面白半分でも構わない。私自身、面白半分で生きていくつもりだ。毎日を楽しもうではないか。

#「迷い」と「決断」

りっすん×はてなブログ特別お題キャンペーン〜りっすんブログコンテスト2019「迷い」と「決断」〜
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